「喜んでもらいたい」②
自分が不幸だったから、
他人の笑顔を見るのが嫌だった
他人の幸せを嫌ってる自分が嫌だった
こんな人間が人を喜ばす接客できるはずがないと思ってた
・・・不思議
接客前提の思考なんだ
「今裏方の仕事選らんでるのは仮の姿」
どこかでそう思ってたのかな?私
でも、昔の私は
喜んでもらえたら単純に嬉しいし、
喜んでもらえたら自分が価値ある人間に思えた気がしてたけど、
それにプラスして、
私はどこかで「このお客さんを喜ばせてあげてる」っていう上から目線があった気がする。
そんな自分に気づいたのは
通ってる美容師さんの働きぶりのお陰かもしれない
「自分自身の髪のことで悩んできたから自分で髪を切ってなんとか解決したくて美容師になった。でも、今はそのときの自分を救うつもりで髪に悩みのあるお客さんの役にたてたらなって髪を切ってます」
っていう言葉。
もしかしたらテッパンのお決まりなのかもだけど。
この美容師さん、本当に素敵な美容師さんで、
普通に接客してるのだろうけど、
素なんじゃないかと思ってしまうくらい自然体。
髪を通してそのお客さん自身を見てるのがわかる。
お客さんの綺麗になりたいって思いを受け取って、
美容師さん自身の技術や知識でその思いを髪を媒体に二人で創造していくような感覚。
私は自分のことだけ考えて接客してた。
あれを接客って言うのが恥ずかしいくらい。
本当の気持ちを伝えてもらうために、
美容師さんも対人間として接してる風な接客なのかもしれない。
でも、どこまで素でどこから素なのか本当にわからない。